告知【男たちの「失敗学」入門!】 :第4回ごめんねギャバン@札幌
ご無沙汰しています。
このブログ記事を書いている私、まくねがおは、新型コロナのことで、心の中は右往左往しております。
「新型コロナさんたちの気持ちを、僕らは考えたことがあるのか!?」(©️ますだっち)
「新型コロナさん、キミはもっと世界に仲間を増やしたいかもしれないけど…。
僕ら人間は、キミたちを増やすわけにはいかないんだ…。
だから…、ごめんね、コロナ」(©️ぴろきちさん)
さて、第4回ごめんねギャバン@札幌、テーマは…。
【男たちの「失敗学」入門!】
…です!
清田隆之さん(桃山商事)の著書、『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』(2019年出版、晶文社)をみんなで読んで、感じたことを語り合います。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07VGF6DP9/ref=cm_sw_r_tw_awdo_c_x_GWMFEb3JZGRJ3
本は僕が当日持ってきますので、持参しないで参加して大丈夫です。
当日は、本の中の一部分を、みんなで音読してから語り合いを始めます。本を全く読まずに参加しても、支障がないように会を進めたいと思います。
男たちが女性へ、ついついやってしまう失敗について、そしてそれを反省することについて、みんなでモヤモヤして、考えてみませんか?
どんな性自認の方でも、参加することができます。非・シスヘテロ男性として、上記のテーマを深く考えてみたい!という方の参加も、大歓迎します!(そういう方の言葉が、きっと場を豊かにしてくれるはず…!)
当日は、なるべく人と人との間のスペースを空け、換気も定期的に行いたいと思います(ごめんね、コロナ…)。
どなたさまもお気軽に、安心してお越し下さいませ。
【日時】
2020年4月17日(金)午後7時より開始
【場所】
フリースペース漂着教室(札幌市中央区南8条西2丁目市民活動プラザ星園401)
【参加条件】
特にありません。
参加費も無料です(「フリースペース漂着教室」の理念によるものです※)。
メンズリブの場ですが、男性に限らず、どんな性自認の方でも参加できます。
「語り合いで得られた個人情報は、終了後に非参加者へ漏らさないこと」というルールは設けますので、その点だけご了承下さい。
そうしたルールもありますし、自分は話さないで他の人の発言を聴いているだけでもオーケー、というルールもあります。
準備も何も要りません。どなたも、どうか安心してご参加下さい。
参加希望の方は、以下のアドレスかDMにご連絡下さい。よろしくお願いします〜。
メール:mensliberationsapporo@gmail.com
ツイッターアカウント:@gomennegavansap
※参加費無料の理由と、会場の「フリースペース漂着教室」については、こちらをご覧下さい。
URL:https://gomennegavan.hatenadiary.com/entry/2020/02/01/123738
4/16追記:
北海道・札幌での新型コロナ感染者が増加していることを受け、対面での集まりを急遽中止とし、Zoom開催を試行的に行うことになりました。
ご不明な点等がありましたら、上記連絡先までご連絡下さい。
突然の変更で大変申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いします。
報告【哲学対話をやってみよう!】:第3回ごめんねギャバン@札幌
1.はじめに
2020年2月7日(金)に開かれた第3回ごめんねギャバン@札幌、内容は【哲学対話をやってみよう!】でした。9名の方が参加してくれました。
ツイッターやブログを見て、初めての方が何人か足を運んでくれました。女性もおひとり参加してくれました。ありがたいことです。
呼びかけ人の僕(まくねがお)は、初めての大人数で、緊張気味…。
当日は、最初に20分ぐらい、僕の方から哲学対話の説明を行ないました。二枚のプリントをお配りし、それを読む形で説明しました。
その後、参加者おひとりおひとりに、「本日呼ばれたい名前と、今の気分と、ここに来た経緯・きっかけ」を話してもらいました。
「ツイッターを見てここに来た」、「ジェンダーのことに関心を持っている」、「知人から紹介されて来てみた」…。色んな動機やきっかけで、皆さんはここに集まってくれたようです。
哲学対話のことは、ほぼ全員が「知らない」とのこと。
どんなことが始まるのか、今日の話し合いはどんな結果になるのか…、初対面の方々も多く、何となく不安で、少しドキドキする感じは、みんな抱いているようでした。
ただ、みんなが一言ずつ語り合ったことで、場の空気が少しゆるやかになった感じもしました。…というか、僕の緊張は少し解けました笑
2.下準備:問いを集め、絞る
そして、哲学対話の下準備がスタート。
本日のスタートの問いは、
「苦労していること、もしくは気になっていること」。
まずは皆さんに、上記の問いで自分の感じることを、フセンに書き出してもらいます。
そして、書き出した自分の問いをひとつだけ選び、皆の前で語ってもらいました。
場には、こんな問いが並びました。
- 意見が違うときに、反論ができないのはなぜか?
- 「嫁」だとくくられることがイヤだ! それはなぜか? また、それでイヤなのに、イヤだと言えない時がある。それはなぜか?
- 夜に同居人が家事をしてくれないことにイラつくのはなぜか?
- 同僚とのコミュニケーションで、精神的にフェードアウトするときがある。それはなぜか?
- なぜ自分は、スッと踊れないのか?
- なぜインターネットは対立が日常化してきたのか?
- 仕事の行く末をどうするか?
- 仕事をやり過ぎちゃうのがツライ。やり過ぎちゃうのはなぜか? また、期待に応えようとしてやり過ぎちゃうことがあるのだが、なぜ期待に応えようとしてしまうのか?
…素晴らしい問いの数々! 一個一個取り上げて、あれこれ語り合いたいところですが、時間も限られています。上記の問いを深める質問を、みんなで出し合った上で、多数決でひとつの問いに絞ります。
多数決では票が割れ、1・3・5が二票同数で並び、決選投票。結果、1の問いが選ばれました。
あらためて、問いと、問いを出してくれた参加者の方のフレーズを、模造紙に書き出します。
問い「意見が違うときに、反論ができないのはなぜか?」
フレーズ「プライベートでも仕事でも、「こっちをやらなきゃダメでしょ」と言われて、違う方を大事にしたいと思っているのに、うまく言えないときがある。言えないでいるうちに、相手の話しは終わってしまっていて、自分の思っていることを伝えられない。そのことで、納得できていない自分がいて、自分を納得させたいと思う自分がいる」
3.下準備:問いを深め、絞る
哲学対話の下準備は、まだ終わりません。ここから、ひとつに絞った問いを、深める作業に移ります。
まず、問いを深める質問を、みんなで集めます。皆さんから出た問いは、以下のようなものでした。
- 飲み会で「唐揚げにレモンをかけるよ」と言われたときのような例で、軽い例や一般化した例で考えてみると、どうなるか?
- 反論が「言えない」とあるが、それは、「言えない」のか? 「言わない?」のか? それとも「言いたくない」のか? そもそも、「言えない」というモヤモヤとは何か?
- 納得できずにモヤモヤしているときの頻度はどのくらいある? 毎日か? それとも、たまに?
- もし自分の意見を伝えられたら、それは反論になるのか? それでモヤモヤが解消されるのか?
- 「意見が違う」とは、どのくらい意見が異なっていると、それは「違う」ということになるのか?
- 「こっちをやらなきゃダメでしょ」と強制されているとき、モヤモヤした気持ちになるとして、もしも「こっちかあっちか、選択して良いよ」と選択権を与えられたとしたら、どんな気持ちになるか?
- 反論しないメリットってあるのか?
- 「相手を反論・説得できたらなあ」と感じる気持ちは、どんな気持ちなのか? それはカタルシスなのか? カタルシスだとしたら、どんなカタルシスなのか?
- 対人の例ではないときは、どんな気持ちになるか。例えば「本を読んで違う意見にふれたとき」や、「ニュースを見ていて違う意見にふれたとき」だと、対人のときとは、気持ちにどんな違いがあるか?
- このモヤモヤを、どう乗り切るか?
- そもそも、どうして自分の意見が言えないのか? 意見が言えない、まさにそのときに湧き上がっている自分の感情は、どのようなものか?
…これまた、素晴らしい角度での質問ばかりです。
そして、上記の深掘り質問をカテゴリー分けする作業へ…。
…と、ここですでに時間は20時45分、開始して1時間半以上が経過していました。いったんここでブレイクタイムを入れます。
…休憩が終わり、20時55分に再開。
さっそく、カテゴリー分けの作業へ。カテゴリーに分けるのがとっても難しかったのですが、何とか皆さんで考えて、とりあえず以下の四つにカテゴリー分けをしました。
- A 「【意見】とは何か」カテゴリー(5)
- B 「【反論】とは何か」カテゴリー(4・7・8)
- C 「【モヤモヤ】とは何か(そもそも、こうしたことに直面した時の気持ちとは、どんなものなのか)」カテゴリー(2・3・4・9・10・11)
- D 「【もしも…】で考える」カテゴリー(1・4・6・9)
そして、多数決で対話するカテゴリーを決めることに。
これまた票が割れる大接戦でしたが、BとCで同票となり決戦投票、最終的にはC「【モヤモヤ】とは何か(そもそも、こうしたことに直面した時の気持ちとは、どんなものなのか)」カテゴリー(2・3・4・9・10・11)で対話を行うことに決定しました。
4.哲学対話へ
ここから哲学対話の本編がスタート。確か時刻は午後9時をちょっと過ぎたぐらいでした。
メモを取っていないので、この記録を書いている僕(まく)もどんなことが語り合われたのか、正直うろ覚えなのですが、以下のような語りが出てきた記憶があります。
- 障害を持っている人や、認知症にある人に対しては、意見が違っていても「仕方ないか」と思えて、モヤモヤがそれほど持続しないことがある。
- 一方で、相手のことを、自分と同じような認知を持っている人だと感じているときだと、意見を言えずに生じたモヤモヤが、尾を引いて長く残ってしまう気がする。
- また、相手が自分の立場上、逆らえないような立場の人の場合だと、これもモヤモヤが尾を引いてしまうように思う。
- 相手に「期待」をもってしまうと、モヤモヤが強くなる気がする。わかってもらえるのではないか、わかってほしい、という「期待」があると、モヤモヤも消えずに残りがちになる。
… 一通り語り合った後、問いとフレーズを提供してくれた参加者の方に、置かれている状況のことをもう少し具体的に語ってもらいました。
参加者の方の語りは、リアルな場面とその葛藤の経緯を想起させてくれ、語ってもらえて本当にありがたかったなあ、と思いました。
5.ジェンダーについて考え、振り返り
21時40分頃、ここまでの語りや自身の思考を振り返り、ジェンダーのことで思うことがあれば、皆さんから言葉をもらうことにし、みんなで一言ずつ語って、終了となりました。
正直に書くと、僕自身も疲労して、この時点でスタミナが切れていた状況でした。
ジェンダーについて考える最後の語り合いについては、参加者の方からいくつか考察を上げてもらったのですが、細かいところを覚えておらず…(スミマセン)。
- 「パートナー間での性差とそれに伴う「期待」の違いについて、あれこれ考えた」
…と述べてくれた方がいた記憶はあります。
僕自身は、自分が意見を言えないことのモヤモヤについては、男性性が絡んでいるような気がしました。が、他の皆さんの語りやそのケースを聴いているときは、「男だから〇〇だ」とは言い切れないな、と感じました。安易に男らしさや女らしさで話しを回収してはいけない気がする、という気持ちになったのを覚えています。
この最後の振り返りや、会が終わった後に一声かけてもらい、全体感想として以下のような言葉をもらったことも覚えています。
- 今日行った哲学対話のようには、日頃あれこれと考える機会はなかったので、新鮮だった。
- 普段の職場や家庭などでは、今日のように「そもそも…?」と考える場面がないので、このように考えられる場面は大事だと思った。
- 哲学対話をしていても、自分の思いを言葉としてはなかなか出すことができず、難しさを感じた。感情をなかなか出せない感じがした。
- ぜひ、また来てみたい。次の機会があれば、教えてほしい。
また、メールでこの日の感想を送ってくれた方もいました(本当にありがたいです)。抜粋してご紹介します。
- 思考を楽しむ、思考を追求する、ということ自体はとても関心があるので、またやってみたいと思いました。
- ただ、先日の会では対話に行き着くまでの時間がかかり、いざ対話という段階になって電池切れになってしまいました。
- まくさんも言っていたように、次にやるとしたら、最初から問いを絞り、対話の時間がもう少し長くとってもいいと思いました。
- また、問いのテーマをある程度、メンズリブとかかわりのあるものにした方が話しやすいように思いました。
- 参加者は「メンズリブ」に関心があって集まっていると思います。漠然としたテーマよりも、男性や性をテーマにした方が、参加者自身の考え、思いを率直に話せるように思いました。
- 自分とは異なる生き方、考え方を知ることが、こうした会の面白さなのかなとおもいます。人によって「性」のとらえはさまざまで、正解がないと知るだけでも、気持ちがちょっと楽になります。
- 個人的には、「哲学対話」のような実験的な試みも楽しいですが、いつも付き合う人たちとはあらたまって話せないことを話してみたい、という欲望をかなえる場でもあってほしいと思います。大人の男性がそういうことを吐露できる場は、いまの社会には少ないように思うので。
6.おわりに
…ということで、今回集まりを呼びかけた立場としての僕の反省は、テーマが漠然として広すぎたことや、「哲学対話+メンズリブ」という試みは詰め込み過ぎだったなあ、と思っています。
コーディネートする僕の側の経験も足りなかったなあ。哲学対話、とっても面白い手法だと思うのですが、僕もまずは一参加者として、もっともっと経験してみたいと思いました。
今回哲学対話をするために、梶谷真司さんの『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』を事前に読んでみたのですが。「哲学対話をすることで自由になれる」「解放される」というふうに書かれていて。ジェンダーのことを絡めた哲学対話を行うことで、男性性からの/としての解放感みたいなものをみんなで味わえたらな、なんて思っていたわけですが。まだまだ難しかったです。ただ、これは単純に僕の経験不足な気がするので、またいつか挑戦してみたいな、と思っています。
振り返ると、本当に無謀な挑戦だったと思いますが、参加者の方々のあたたかい姿勢のおかげで、とっても良い雰囲気の場になってくれました。
参加してくれた皆様、本当に本当に、ありがとうございました!
会場費無料と「フリースペース漂着教室」について
『ごめんねギャバン@札幌』は、会場として「フリースペース漂着教室」をお借りしています。
『訪問と居場所 漂流教室』の運営する「フリースペース漂着教室」では、誰でも来ることができる居場所を実現するため、場の利用を無料にしたそうです。
『ごめんねギャバン』も、その理念のおかげで、会場費をいただかずに、集まりの場を持つことができています。
目的がないことを目的としている、『訪問と居場所 漂流教室』。
http://hyouryu.com/index.htm
2002年から始まった、長く豊かな蓄積を持つ活動団体で、その理念もひとえに、『訪問と居場所 漂流教室』に関わりのある子どもたち・若者たちと共に作り上げられてきたもののようです。
みなさま、ぜひ賛助会員となって、『訪問と居場所 漂流教室』の応援をしていただければと思います。
http://hyouryu.com/kaiinn.htm
告知【哲学対話をやってみよう!】:第3回ごめんねギャバン@札幌
第3回ごめんねギャバン@札幌、その内容は…
【哲学対話をやってみよう!】
(…最後はちょろっと「男性(ジェンダー)」のことを考察し、「男性」の今を定点観測してみよう!)
…です!
哲学対話とは、「気になっていること・苦労していること・悩んでいること・相談したいこと」等をその場に出し、その中身とは何かについて、語り合いながらみんなで共に深めていく、というものです。
第3回ごめんねギャバンでは、僕らの日々の生活で「気になっていること」等に関する哲学対話をやりたいと思います!
【日時】
2019年2月7日(金)午後7時より開始
【場所】
フリースペース漂着教室(札幌市中央区南8条西2丁目市民活動プラザ星園401)
【参加条件】
特にありません。
参加費も無料です(「フリースペース漂着教室」の理念によるものです※)。
メンズリブの場ですが、男性に限らず、どんな性自認の方でも参加できます。
「対話で得られた個人情報は、終了後に非参加者へ漏らさないこと」というルールは設けますので、その点だけはご了承下さい。
そうしたルールもありますし、自分は話さないで他の人の発言を聴いているだけでもオーケー、というルールもあります。
準備も何も要りません。どなたも、どうか安心してご参加下さい。
参加希望の方は、以下のアドレスかDMにご連絡下さい。よろしくお願いします〜。
メール:mensliberationsapporo@gmail.com
ツイッターアカウント:@gomennegavansap
※参加費無料の理由と、会場の「フリースペース漂着教室」については、こちらをご覧下さい。
また、哲学対話をやることに決まった経緯に興味を持たれた方は、以下のブログ記事をご覧下さい。
そして、下記の記事内容や、今回の企画全体が、ばしこさんの以下のブログ記事に全面的に依拠しています。
※いずれも、ばしこさんの次のブログで掲載されている記事になります。
…ばしこさん、引用を許可して下さり、本当にありがとうございます! 上記記事を参考に、『ごめんねギャバン』でも哲学対話をやってみようと思っています。
ちなみに、『ごめんねギャバン』で行う哲学対話では、テーマを「性」に限らず、「日々の生活で気になっていること等」という広いテーマで行ってみようと思っています。
さて、第3回ごめんねギャバンが行う内容と、そもそも哲学対話とは何か、ということについて、以下でもう少し詳しく説明しますと…。
1.哲学対話とは何か
「哲学」…
「対話」…
なんだかカタイ言葉ですが、実際はどんな人でもできる、カンタンなことのようです。なんでも…
「5歳の子どもと、60代ぐらいのお年寄りとでも、哲学対話なら、やりとりすることができる」
…そうです。そんな哲学対話って、具体的には、どんなものなのでしょうか?
2.導入の実例
まず、上記記事に掲載されていた、哲学対話の導入の実例を見てみましょう。
1.あらかじめ決まっていたテーマ
→『なぜ経験人数が気になるのか?』
2.テーマを挙げた人が語った内容
→「僕は、恋愛をする相手の経験人数は4〜5人がちょうどよいと思っていて。多いとイヤだ。でも0だとめんどくさい。なので、この人数がよい」
3.このテーマを深めるために集まった、参加者からの質問
→
Q1.「経験」って、どういう意味?
Q2.なぜ恋愛では経験が問題になるのだろう?
Q3.遊びの20人とマジメの1人、どっちが気になる?
Q4.「気になる」って、どういう意味?
Q5.自分が気にされたら、どう感じる?
Q6.どんな立場・関係の人(…例えば、まだ友人関係の人、親密な関係になった人、恋人寸前の人、など)の経験が気になる?
Q7.どういったシチュエーションで、経験人数の話しはする?
Q8.「めんどくさい」ってどういう意味?
Q9.経験人数のちょうどよさの基準って?
Q10.相手の経験人数をどうやって知る?
Q11.相手が言った経験人数を信じる?
etc…
4.質問をグループ分け
→以下の3つに分けられた
◉「経験」に関する質問
◉「人数」に関する質問
◉「気になる」に関する質問
5.どのグループの問いで主に対話したいか、多数決
→以下のグループの問いに決定!
◉「経験」に関する質問
6.哲学対話、スタート!
…哲学対話が始まる前の流れは、こんな形のようです。
集められた質問を見ると、これから始まる対話で、いったいどんな語りが飛び出すのか、ちょっとワクワクしてきますね。
3.細かい仕組み
導入までのイメージできたところで、次に哲学対話の細かい仕組みについても確認してみましょう。
上記記事によると、哲学対話のルールは、以下のようなものになっています。
①机に座る
…輪になって座る。
②発言の際は、次のルール通りにする
②-1 ボールを持つ
…議論があっちゃこっちゃにごちゃまぜにならないように、発言はボールを持つ人だけ。
②-2 他の人の発言をさえぎらない
②-3 次に発言したい人が手を挙げる
…発言している間は、さえぎられることはなく、最後まで話せる。ただし、ある人が発言している最中に、発言したくなった別の誰かは、手を挙げてよい。また、手を挙げる人は、何人いてもよい。そして発言者も、手が挙がったからと言って、話しを止める必要はない。
②-4 次の発言者は、現在の発言者が決める
…発言者は、話し終わったら、手を挙げていた人の中で、好きな人にそのボールを渡す。それで、次の話しが始まる。
③以下のルールを守る
③-1 何を言ってもよい
③-2 聴いているだけでもオーケー
③-3 話はまとまらなくてもよい
③-4 意見が変わってもよい
③-5 わからなくなってもよい
…ルール、と言っても、以上の5つのルールは、縛りではない。むしろ、縛りなく自由に話して良い(し、他の人の話しを聞いているだけでいる自由もある)、というルール。
←まとまらなくても、途中でわからなくなっても、後で意見が変わっても話してよい、と。話すのが苦手な人でも、対話に挑戦しやすいルールだな、と感じました。
③-6 お互いに問いかけるように話すし、聴く
③-7 人の言うことに否定的な態度は取らない
…以下は、哲学対話という形式の、縛りとしてのルール。上2つは、要するに「それはどういうことか?」という姿勢で発言するし、聴こうともする、ということ。「それは違う」「それはおかしい」と即断しない。仮にいったんはそう感じたとしても、「なぜ発言者は、そのように感じているのか?」を掘り下げて知ろうとする。そうして聞き、考え、話す。
← 上記で豊かな質問が多数集まっているのは、こんなルールがあったからなのでしょう。討論ではなく対話するための、キモとなるのルールだと感じました。
③-8 知識ではなく、自分の経験に即して話す
…これも、縛りとしてのルール。知っていることではなく、自分が経験して、自分が実感したことを話す。このルールがあることで、どんな人でも発言しやすくなる。つまり、知識豊富な人が話すべき、という雰囲気がなくなる。それぞれが生きてきた経験から、実感していること何でもを話せばよい。
← このルールは特に、メンズリブ的にキモだと思いました。男性同士の会話は、どうしても知識の豊富さと正しさをめぐるマウント合戦になりがち。でも、経験の語りは違う。その人なりの実感は、人それぞれで違って当然で、そこには正解も不正解もない。大切なのは、それぞれの実感のこもった「現実」であり、それを語り合い聴き合う。このルールも、議論ではなく対話ができる場づくりのキモであるように思いました。
4.メンズリブとして、哲学対話を…?
…と、まあこんな感じらしいです、哲学対話って。
実は、このブログ記事を書いている僕(まく)も、まだ哲学対話を体験したことはないのですが、とにかくやってみて、みんなと一緒にやりながら知っていこうと思います!笑
話してるときに誰かにさえぎられたりせず、黙って聴いてるだけでもよくて、安全で安心なルールのもと、みんなで共に問いを考えることができる。哲学対話とは、とりあえずそういうものだと思っていただければ。
第3回のごめんねギャバンでは、まず、皆さんが日々の生活で気になっていること等を出していきます。
そして、どなたのテーマを哲学対話で取り上げるか、みんなで決めます。
次に、決まったテーマを深掘りするための質問をみんなで集め、さらにその後、テーマを絞っていきます。
そして、その絞ったテーマをめぐって、哲学対話をスタートしたいと思います。
みんなでの哲学対話を一通りした後、最後に対話の内容を振り返って、その内容と男性ジェンダーとの関係についての考察を、みんなでできれば、と思っています。
対話と考察で、何が見えてくるのか…。それは、全く分かりません。
ただ、男性が対話をする場はなかなかなく、また男性が対話することも難しい場合が多いので、まずは男性たちが、対話に挑戦する体験を気軽にできる機会となればなあ、と思っています。
また、哲学対話は、し終わった後に新たな気づきを参加者全員が持ち帰れるような、とても面白い取り組みのようです。
特に準備も要りません。手ぶらで来るのも良いですし、もちろん事前に「こんな話しをしたい/聴きたい」というテーマを用意してくるのも良いでしょう。
皆さま、ぜひぜひお気軽にご参加下さい!
報告【雑談と、次回のテーマを話し合おう!】:第2.5回ごめんねギャバン@札幌
1/10(金)、『ごめんねギャバン@札幌』【雑談と、次回のテーマを話し合おう!】を開催しました! 4名が参加してくれました。今回の集まりは準備回的なものとなりましたので、第2.5回として扱おうと思います。
さて、第2.5回の話し合いの中では、「僕たちはそもそも、男としての問題で、日々悩んだりしてるのか?」という質問がありました。
この日の参加者は、男としての悩みを明確に持っている人が少なく、その質問に対しては「男として、ではないけど、日々の悩みや困りごとなら、ある」「他の男の振る舞いに、嫌な思いをした記憶はある」というような回答が出ていました。
それを聴いて、ある参加者の方から、次のような意見がありました。
「90年代ぐらいまでは、高度経済成長期に作られた「男性は仕事」というような、性別役割分業的な男性像が残っていたけど、00年代以降はその男性像が揺らいでいる。
像が曖昧になったから、「男としての悩み」と言えるようなものも、曖昧になりがちになったのかもしれない」。
それを受け、ある参加者の方からは、次のような意見がありました。
「急激に社会が変化していて、男性像も確固としたものはなくなってきていると思うが、かつての「男らしさ」≒「ギャバン」みたいなものは、無くなったわけではないと思う。
周囲や僕らの言動、僕らが日々感じること、その他色んなところに、その残滓はある。「ギャバン」はいる。ただしそれは、丁寧に見ていかなければ分からなくなっている。
だから、「いま、男とは何か」を丁寧に見る場、いわば「現代的な男性ジェンダーのあり様を定点観測する拠点」が、あると良いのではないか。『ごめんねギャバン』が、そのような拠点になると良いのではないか」…。
かつてのメンズリブは、主に90年代から2008年ぐらいまでになされた運動でした。当時と今とで、男と社会の状況は変わっています。
ただし、過去のメンズリブが、「サラリーマン」や「父親」、「夫」としての男の語り合いしかしていなかったか、というと、決してそうではないようです。
過去のメンズリブの語り合いが、多様なテーマを扱っていたことは、遠山さんの論考(https://www.jstage.jst.go.jp/article/arws/40/0/40_27/_article/-char/ja)に言及があります。
過去のメンズリブの豊かな蓄積。『ごめんねギャバン』で今後取り扱う事柄が、過去のメンズリブではどう議論されていたのか、掘り起こしと付き合わせの作業をいつかできると良いのでしょう。そして、その付け合わせの成果を『ごめんねギャバン』に返せたら理想的で、それは今後の課題かもしれません。
ともあれ、『ごめんねギャバン』で扱われる今の、そしてこれからの、男と社会とは、どんなものなのか。
超高齢化社会、低成長時代、格差と貧困、承認の不在と孤立…。そんな中で、僕らはいったい、どのように生きていくのが良いのだろうか…。
かつての「ギャバン」的な男らしさを、サッパリなかったことにはせず、自分たちの中にある「ギャバン」の残滓も見つめながら、いまの「男」としての自分を、ゆっくりじっくり、うじうじと考える。次回以降、『ごめんねギャバン』はそんな場として運営していくことが、先日の話し合いで確認されました。
そんな話し合いを経て決めた、次回の内容。それは、ここまでの話し合いの結果を具現化し、検証してみる試みです。
第3回ごめんねギャバン@札幌は、2/7(金)、夜7時から。内容は【哲学対話をやってみよう!】(…最後はちょろっと「男性(ジェンダー)」のことを考察し、「男性」の今を定点観測してみよう!)です。
哲学対話とは、「気になっていること・苦労していること・悩んでいること・相談したいこと」等をその場に出し、その中身とは何かについて、語り合いながらみんなで深めていく、というものです。詳細は、第3回告知記事(https://gomennegavan.hatenadiary.com/entry/2020/01/22/125047)をご覧下さい。
まずは、哲学対話をやってみる。
男としての問題に囚われ過ぎることなく、日々の悩みや相談したいこと、苦労していることや気になったり引っかかっていることを、問いとして言葉にする。
その問いに関する、参加者それぞれの経験を語っていく。対話してみる。
最後に、この対話から見えてきた世界を、男性であることと関連づけて、みんなで考察してみる。
何が見えてくるかは分かりません。ただ、男性が対話をする場はなかなかなく、また男性が対話することも難しい場合が多いので、まずは男性たちが、その挑戦を気軽に体験できる機会になれば、と思っています。
…第2.5回で話し合った内容は、上記以外の話題もたくさんあり、とても面白く、刺激的で示唆に富むものばかりでした。
参加してくれた皆さま、ありがとうございました!
追記:
最後にもう一点だけ、先日の話し合いで確認したことを付け加えておきます。
それは、「『ごめんねギャバン』の参加者を、男性に絞るか否か」についてです。
結論から言うと、原則として参加者を男性に絞ることはせず、『ごめんねギャバン』は基本的に、どんな性自認の方でも参加していただける場にすることにしました。
理由は、「男性ジェンダーについての定点観測をするためには、むしろ性自認が男性以外の人にも参加してもらい、意見をもらったり、感じていることを言葉にしてもらった方が、より場が豊かなものになる」と思われたからです。
ただ今後、男性だけでないと語り辛い悩みや話題などがテーマになったときは、参加者を男性限定にするかもしれません。
それはあくまでも例外として、「原則参加は誰でもオーケー」という条件で、『ごめんねギャバン』はやっていこうと思います。
皆さま、今後とも、『ごめんねギャバン』をよろしくお願いします。
告知【雑談しながら次のテーマを決めよう】:第2.5回ごめんねギャバン@札幌
第2.5回ごめんねギャバン、内容は…
【雑談しながら次のテーマを決めよう】
…です!
気がついたら前回から1カ月が経っていました…。ツイッターばかりやっていたら、いつの間にやら…。
…焦らずにやっていきます。何をするかは、話しながら考えれば良いんだ、うん。
ということで、明日は雑談しながら、次回のテーマについて決めたいと思います。
皆さんで近況などを出し合いながら、あれこれ語り、聴き合えたらなあと思っています。
【日時】
2019年1月10日(金)午後7時より開始
【場所】
フリースペース漂着教室(札幌市中央区南8条西2丁目市民活動プラザ星園401 )
参加希望の方は、以下のアドレスかDMにご連絡下さい。よろしくお願いします〜。
メール:mensliberationsapporo@gmail.com
ツイッターアカウント:@makunegao
*1/11追記:元々は第3回の告知記事でしたが、結果的には準備回に近い内容でしたので、第2.5回と表記を修正しました。
報告【男と介護・家族】:第2回ごめんねギャバン@札幌
第2回ごめんねギャバン@札幌、テーマは【男と介護・家族】でした。4名の方が参加してくれました。
50代、40代、30代と、参加者の年齢層が幅広く、しかも家族介護に関して様々な経験を持った方々が参加してくれたおかげで、とても豊かな語りを聴くことができました。
老いは、多くの人が直面することになる、とても普遍的な問いであるはずです。なのに、いまの社会ではそれが、ほとんど見えないようにさせられています。
普段考える機会がないのに、家族や身近な人の身に老いや病気が迫ったとき、その介護を通じて、僕らは老いや死と突然向き合うことになるわけです。
社会が表に出さないようにしているため、僕らは孤立して介護、老い、死に格闘せざるを得ません。
そんな状況にあることを、今日の語り合いで確認することができました。そして同時に、今日のような集まりが非常に重要であることも実感できました。
男性は、悩みを相談することが苦手な場合は多く、介護や老い、死について、より孤立して向き合わざるを得ない傾向にあるのかもしれません。
今日は年上の男性が自身の経験を語ってくれました。語ってくれたその方も、過去にたまたま身近にいた年上の経験者の男性が助言してくれ、それで家族介護の難しさを乗り切ってきた経験のある方でした。
いわば「男性同士の良いつながりの連鎖」のおかげで、今日参加した年下の男性たちは、豊かな学びを得ることができました。この日の最後の感想の中で、平板にしかイメージできなかった「介護」について、自分の中のイメージが変わった、と述べる年下の男性参加者の声がありました。これは本当に貴重なことで、こうした男性同士の縦のつながりが、今後よりいっそう必要になってくるだろうな、と思いました。
また、将来高齢になったときは独身男性同士での助け合う生活を考えていて、そうした話題を男性の友だち同士でしている、という声もありました。ネット上では、男性同士で助け合う生活に対して悲観的な見方があるのを見かけますが、草の根でこうした前向きな動きがあることを知り、素朴に驚きました。そして、実は僕らが知らないだけで、こうした男性同士の横のつながりが作られる芽のような動きは、各地域のあちこちで生まれているのかもしれない、とも思いました。少なくとも、男性同士で助け合おうという思いを持った男性たちが、草の根の生活現場にきちんと存在しているという事実は、僕らの大きな救いではないでしょうか。男性同士の横のつながりづくりについても、今後いっそう注目していきたいところです。
その他、介護によって生活デザインを再構築せざるを得ない問題、介護をめぐる当事者と家族の複雑な思い・プライド・心配・気遣いが混線して拗れる問題、老いてくるとワガママになる問題などなど、大事な論点が目白押しでした。
そして、「老いとは予測不可能なものである」「(老いた)身体に思考が引っ張られる」という言葉には、切れば血が出るような生々しい実感がこもっていて、胸に突き刺さるような感じがありました。逆に言うと、僕は未だ老いや死のことを、家族の介護などを通じてさえも、全く体験していないのだな、ということを痛感できた気がしました。
参加者の方から、「高齢男性たちが、この社会の中心を綿々と作ってきたのだろう。そんな彼らは、老いや死と(意識的にせよ無意識的にせよ)向き合ってきたわけで、彼らの問いである老いや死を考えることが、メンズリブとしては絶対に必要なのではないか」というような言葉があり、本当にその通りだなあと思いました。
そして僕は、自身の老いと死について、今日を始めとして、当事者として考え続けていきたい、そこから全てを始めていきたいと思いました。
それにしても、直接対面しての語り合いは、本当に凄いものだな、と感じました。存在と言葉の迫力が違う。とても楽しかったし、凄く深かったです。
参加して下さったみなさま、本当にありがとうございました!
さて、次回のごめんねギャバン@札幌は、1/10(金)の夜に行います。
テーマは未定で、皆さんからアイデアをもらって決めていきたいと思っています。
「こんなお題でやってほしい」「こんなテーマでやってみたら?」といったアイデアがありましたら、以下のアドレスかツイッターのDMまで、ぜひぜひお寄せ下さいませ。
よろしくお願いします〜。
メール:mensliberationsapporo@gmail.com
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