読書感想【メンズリブの歴史を学ぼう!】:「日本における男性運動と男性対象のジェンダー政策の可能性:メンズリブを中心にして」より
ごめんねギャバン@札幌、呼びかけ人の、まくねがおです。
「読書感想」第二弾は、メンズリブの歴史をざっと確認するために、ある論文を読んでみました。
前回のメンズリブ東京の本もそうですが、いずれも関西でメンズリブをされている西井開さんに紹介してもらい、知った文章です。今回も、とっても面白かった。西井さん、どうもありがとうございます。
以下、読書感想です。
1.はじめに
大束貢生(2019)「日本における男性運動と男性対象のジェンダー政策の可能性:メンズリブを中心にして」
西井さんに、「過去のメンズリブの経緯を調べてみたいんだけんども…」と相談したら、西井さんが紹介してくれた論文。
…とても良かった。図式的に分かりやすく整理されていて、頭がスッキリ。
2.メンズリブの歴史
日本のメンズリブ(男性運動)は、そのルーツから、男性の苦悩からの解放を目指す方向性と、男性の加害者性からの解放を目指す方向性、その二方向があった。
そして生まれた1990年代のメンズリブ(男性運動)は、この二方向を統合したようなものだった。
しかし2000年代に入って、メンズリブと名付けられる活動は縮小し、無くなっていく。
ただし、統合されていた元々の二方向が、発展的な形で専門分化して再び二つに分かれ、男性運動の代表的な二つとしていま活動中だ。
それが「ファザリングジャパン」と「ホワイトリボン・キャンペーン」。
発展的な形、というのは、ソーシャルビジネス的な動きを取り入れていたり、国際的な運動の流れの中で連携していったり、と、新たな手法や潮流が取り入れられていったことを意味している。
…面白かった。この二つの運動の名前は聴いていたが、男性運動の系譜の中で改めて把握することができ、興味深かった。
さらに上記の論文では、ジェンダー平等政策における男性運動の影響力についても分析している。
メンズリブと冠する運動が縮小するのとパラレルに、ジェンダー平等の実現を目指す施策においても、女性/男性問題の解決をジェンダー平等の実現に向けて位置づける要素が、次第に後退していった。
上記論文では、国や自治体のジェンダー平等施策において、男性運動が政策決定過程にどんな影響を及ぼしてきたのか、その研究が十分されてこなかったことを指摘する。
そして、さらなる政策研究の必要性を訴える。
…確かに大事だ。メンズリブ・男性運動を政策に結び付ける視点は、僕にほとんどなかった。
3.気になったこと
…さて、僕はメンズリブについて研究上でコミットする気はない。今後地元でささやかにメンズリブの実践をしはじめたい立場として、この論文を読んで思ったことをいくつか書きながら考えてみたい。
今後も文献をぼちぼち読んでいこうと思うけど、上記論文を読んでの、とりあえずのメモ代わりとして。
まず、90年代メンズリブ衰退の理由は、やはり気になる。
メンズリブが世間にある程度の影響力を持ったから、という理由がよく挙げられるけど、正直あんまりピンとこない。
「男の料理教室」とか、「男の…」というセミナー的な活動が一般化したから、というが、そんなもんで済ませて良かったのか、と。
元々のルーツの二方向、苦悩からの解放にせよ、加害者性からの解放にせよ、そんなレベルの話しでは到底なかったろう。一定の役割を終えた、と言ってよいのだろうか。
二方向どちらを見ても、そもそもこんな程度のことをメンズリブ・男性運動は目指していたのか、と言いたくなってしまう。
また、90年代メンズリブ衰退のもうひとつの理由として挙げられていた、男性問題の多様化・細分化や、男性同士の分断について。ここは非常に重要な論点であると感じていて。
この論点が、その後のファザリングジャパンやホワイトリボンキャンペーンといった活動に、どこまで接続されたのかが気になる。
ロスジェネ世代の僕は、00年代は若かったがすでに若くはないぼくら男性たち(ヘビーなケースでは、いわゆる7040・8050問題と呼ばれる…)の、その苦悩と、ときに帯びる加害者性に対して、強烈な問題意識がある。
インセルやヘイト男性たちの問題にも近しい部分。男性運動は、こうした現象に対してどう向き合っているのか。
特にファザリングジャパンは、苦悩からの解放、ケアする男性性の流れを汲む運動だとして挙げられていたが、なぜそれが「父」に限定されてしまったのか。
ソーシャルビジネスは、弱さを抱える男性たちに届くのか。
男性運動に、大きな隙間を感じる。これを埋めるような運動が求められているように思う。
…こんなふうな僕の評価も、きっと拙速で。
男性相談の流れを汲む活動などが、弱さを抱え、苦悩し孤立してきた男性たちをこれまで受け止めていたのではないか。
DV加害者更生臨床の流れも気になる。
90年代メンズリブやその後の男性運動の評価も含め、様々な本を読んで今後、再吟味するつもりで確かめたい。
4.メンズリブ思想の新しい潮流?
…そして、僕はメンズリブを実践としてやりたい立場だけど、メンズリブの思想的な話も、今回上記論文を読んで思い出したこととして、メモ的に呟いておきたい。
00年代以降、メンズリブ思想として、新たな潮流が生まれたのではないか。森岡正博さん→杉田俊介さんのラインのことだ。
それは男性たちによる、ウーマンリブの思想のラディカルな継承を狙うラインだ。内在的に苦悩と加害者性を深く問うていく。
森岡さんの切り口は、自分自身の非モテ男性性や性欲の問題だった。
杉田俊介さんはそれに加え、非正規雇用等で苦しむ孤独な男性性に焦点を当てたメンズリブ思想を、ずっと練り上げてきた。
具体的に言うと、森岡正博さんの『生命学に何ができるか』『草食系男子の恋愛学』『感じない男』。
そうした森岡さんの議論の批判的継承を目指した、杉田俊介さんの『無能力批評』『非モテの品格』。さらに雑誌『現代思想』で掲載された熊谷晋一朗さんとの対談、そして同じく『現代思想』の男性学特集号に寄稿されている「ラディカル・メンズリブのために」も挙げたい。
この、森岡さん→杉田さんのラインのメンズリブ思想は、ウーマンリブの議論にプラス、障害当事者運動の議論も加味しているところに特徴があった。
それは特に杉田俊介さんの議論で、メンズリブの方法論として結実してる。「マジョリティとしての、シスヘテロ男性たちの当事者研究」という方法論として。
5.おわりに
以上の流れを踏まえながら、メンズリブの草の根の活動として、僕も自分の身近なところで実践したいなあ。
近年はオープンダイアローグとか、哲学対話なども実践として盛んになってきて、男性たちが集う場も多様になっているように思う。
「ぼくらの非モテ研究会」は、ここまでのメンズリブの系譜において、一番面白そうな場だ。呼びかけ人のひとりである西井開さんは、上記論文をすぐに僕に紹介してくれるぐらい、メンズリブの歴史をよく踏まえて活動されている(たくさん学ばせてもらいたい)。
…僕はすぐ頭でっかちになっちゃって、こうした妄想を繰り広げてしまう(躁鬱人…?)。
さいわい、メンズリブのことをあれこれ話せる人がツイッター上に何人かいるから、わいわいやりとりしながら、ゆるゆる実践したいもんだ。
メンズリブの歴史も今後、コツコツ学んでいきたいな。西井さんから教えてもらった本、一通り注文したから、アマゾンから本が届いたら、ぼちぼち読んで感想をここで書きながら考えて、アウトプットしていきたいなあ。
おしまい。