ごめんねギャバン

北海道のメンズリブ・グループ、『ごめんねギャバン』の公式ブログです~。

ごめんねギャバン@札幌とは?

男なんだろう?  ぐずぐずするなよ

胸のエンジンに  火をつけろ

 

おれはここだぜ 一足お先

光の速さで明日へ ダッシュ

 

(中略)

 

悪いやつらは  天使の顔して

心で爪を  といでいるものさ

 

おれもお前も  名もない花を

踏みつけられない  男になるのさ

 

(中略)

 

若さ  若さってなんだ  ふりむかないことさ

愛ってなんだ  ためらわないことさ

 

ギャバン!  あばよ涙

ギャバン!  よろしく勇気

 

宇宙刑事ギャバン

 

(特撮ヒーロー主題歌「宇宙刑事ギャバン」歌詞より  )

https://youtu.be/8auZSTIq_Hk

 

  

 

…ねえ、ギャバン

ぼくは、どうしても、ためらうよ。

 

そんなに、先へ先へ、行くことがいいの?

前へ、明日へ、突き進んでいくのがいいの?

 

誰かのことを、「悪いやつら」だと、ぼくは言い切りたくはない。

ぼく自身が、「名もない花」だと思っているし、

過去の方をふりむいて、すぐに、とまどってしまうんだ。

 

「あばよ涙」って、言ってしまって、いいの?

必要な「勇気」って、そういうものなの?

 

そうして、ぐずぐずしてしまう。

胸のエンジンも、いつだって、くすぶってしまう。

どうしても。

 

…だから、ためらいながら、こう言うよ。

ごめんね、ギャバン

 

 

 

 

「ごめんねギャバン@札幌」とは、

札幌で開いている、メンズリブの集まりです。

 

「男らしさ」を入り口・きっかけにして、

ぼくら自身の昔のこと、目の前のこと、ちょっと先のことを、普段とは別の角度で、少し引いた視点で語って、考えられる。

そんな時間と場所を、「ぼくら自身で共に」作っていきます。

「男のこと」と、「ぼくのこと」とを、それぞれがゆるゆる、ぐずぐずと語り、考えます。

 

 

月に一回、不定期で開催します。

場所は、フリースペース漂着教室※です。

予定している内容は…。

 

  • 男らしさ・違和感エピソード
  • めんギャバ赤ペン先生
  • オレ年表
  • 自己肯定感グラフ
  • 男の「健康」
  • 男の「親の介護」
  • 家族の中のぼく
  • めんギャバラジオ
  • 男のやらかし事件簿

 

…等々です。今後の参加者の方々のリクエストに応じ、予定している内容を変更したり、新たに内容が加わる可能性もあります。

 

互いの言葉を聴き合って、ときに楽しく遊んだり、一緒に悩んだりしながら、共につながりを作れたら、と思っています。

 

 

ご興味のある方は、ぜひ以下のアドレスかDMにてお問合せ下さい。よろしくお願いします〜。

 

 

メール:mensliberationsapporo@gmail.com

ツイッターアカウント:https://twitter.com/gomennegavansap

 

※会場の「フリースペース漂着教室」については、こちらをご覧下さい。

gomennegavan.hatenadiary.com

 

※「ごめんねギャバン@札幌」のことを、より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。立ち上げ直前の話し合いの記録です。

gomennegavan.hatenadiary.com

 

 

告知【(隔週開催中です!)】  :新『ごめんねギャバン@札幌』

2021年1月から、『ごめんねギャバン@札幌』はリニューアルオープン中!

2021年1月28日現在、二回の集まりをすでに開催しております~。

 

リニューアルに当たって、呼びかけ人の方々を少し増やさせてもらって、2020年12月から2021年1月にかけ、これまでの振り返りと、これからについての話し合いの場を持ち、あれこれ話し合ってみました。

そこで決まった原則は、以下の通りです~。

 

今後は、隔週ペースで開催していく予定です。

時間帯としては基本的に、平日の夜と、休日(土曜か日曜、もしくは祝日)の昼間、交互に設定する見込みです。

平日夜は基本的にZOOMを使ったオンライン開催、休日昼間は基本的に北海道・札幌を会場にしての対面開催を予定しています。

(…が、現在のところコロナ禍で、オンライン開催ばかりになってしまっています。悲しい…。感染状況を踏まえつつ、開催方式を毎回検討したいと思っております…。)

 

各回、だいたい2時間から3時間程度を予定しています。でも、途中参加・退席・復帰も自由。オンラインの場合、顔出しも自由、声のみ参加・チャットのみ参加も可能です~。

本編が終わった後、二次会的な時間を設け、みんなで雑談したりすることもあります。飲酒は、二次会まではご遠慮ください(笑)。

 

ほか、ルールとしては、基本的に以下二つ…

1 参加者の人格を否定したり、責めたり、マウントしたりはしないようにすること

2 会の終了後、そこで知った個人特定に関わる内容は、外に漏らさないこと

…を掲げています。

 

参加費は無料、勧誘等も行いません!(笑) なるべく、どなたでも参加できるような場になってくれたら良いな、と思っています。

 

参加希望のご連絡や、何か聞いてみたいことのある方は、下記ツイッターアカウントのDM(ダイレクトメール)かリプライ、もしくはメールアドレス(mensliberationsapporo@gmail.com)まで、お気軽にお問合せ下さい。

twitter.com

ZOOMを一度も使ったことがない方で、参加を検討したい方も、どうかお気軽にご相談ください。みなさんの条件に合わせ、ZOOMのお試し練習などをできるよう、方法を一緒に考えることができます。

 

毎回の具体的な告知は、公式ツイッターアカウントで行なっています。

次回の日時、内容、参加条件や開催方式などを確認したい方は、ツイッターアカウントの告知を適宜チェックしていただければと思います。

参加者の方々の時間を大切にできるよう、毎回、定員を設けています。

 

運営負担の軽減のため、こちらのブログでは、毎回の集まりの告知を行わないことにしました(ごめんなさい…)。

毎回の内容の報告も、基本的にはございません。公式ツイッターアカウントで、一ツイートぐらい呟いているかもしれません。

ちなみに、ツイッターハッシュタグ、「#ごめんねギャバン」で、参加してくれた方の感想ツイートを募集しております。ツイッターで「#ごめんねギャバン」と検索すると、これまで参加された皆様の感想を見ることができるシステムです。すでにいくつか、ツイートしていただいています(素晴らしい呟き、ありがとうございます!)。

 ご興味ある方は、ぜひ上記ツイッターアカウントや、ハッシュタグ「#ごめんねギャバン」をチェックしてみて下さい。

 

なお、「ハッシュタグは、希望テーマ募集にも使えたら良いね」と呼びかけ人同士で話題になったりもしました。「こんなテーマでやってほしい!」というご希望がもしありましたら、ぜひ「#ごめんねギャバン」で呟いてみて下さいね。

 

メンズリブ・グループとして、支配や暴力、差別をなくしていきたい、そんな時間と空間、関係を体感できる場を生み出せたら良いなあ、と僕らは思っています。 

なので、いつの回でも、安全で安心にやりとりし合えるためのルールを、集まったみんなで一緒に作ろうと心がけています。
集まった方々と、互いに関心を持ち合い、互いの(声なき声も含めた)声に耳を傾け合って、みんなでほっこりできるような、そんな時間と空間を共にできたらな、と思っております。
安全で安心な環境にして、暴力を防止するための配慮と、互いへの敬意と尊重を大切にする、そんなメンズリブ・グループ『ごめんねギャバン@札幌』を、常に皆さんと一緒に作っていけたらな、と思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 

『ごめんねギャバン@札幌』は、皆さんとお会いできるのを、楽しみにしています!

告知【ユーは何しに「めんギャバ」へ?】  :第1回新ごめんねギャバン@札幌

ご無沙汰しています!

 

『ごめんねギャバン@札幌』は2021年にリニューアル・オープン!

記念すべき『新めんギャバ』第一回は、1/16(土)午前10時からです!

テーマは【ユーは何しに「めんギャバ」へ?】! ZOOMを使って、オンラインで行います!

 

僕らは、男性を中心とした、メンズリブ・グループです。

メンズリブジェンダーに関心を持ち始めた僕らですが、男性が「男らしさ」のことを考えるって、結構難しい…。

そこでまず、男らしさやジェンダーメンズリブについて、互いの関心を集め、フリートークすることから始めることにしました!

 

男らしさやジェンダーメンズリブについての語りに関心ある方は、ぜひ、その関心を持ち寄って『ごめんねギャバン』にお越しください!
 
「何だかよく分からないけど、メンズリブって、ちょっと気になる…」「ジェンダーのこと、詳しくないけど、参加して良いのかな…?」って方、大歓迎です! 僕らもまだまだ考え始めたばかり。一緒に、ゆっくり、考えていきましょう!
 
参加資格は誰でもOK(性自認は問わず、男らしさやジェンダーメンズリブに関心ある方は、どなたでも参加可能)、先着7名様で参加希望の方は、公式ツイッターアカウント(@gomennegavansap)のDMか、メールアドレス(mensliberationsapporo@gmail.com)までご連絡ください。
 
ご質問等もどうかお気軽に、何でも聞いてもらえたらと思います!
みなさま、新『ごめんねギャバン@札幌』を、どうぞよろしくお願いいたします~!

読書感想【ぼくらの非モテ研究会から学ぼう!】:「痛みとダークサイドの狭間で 『非モテ』から始まる男性運動」より

ごめんねギャバン@札幌、呼びかけ人の、まくねがおです。

 

「読書感想」第三弾は、西井開さんが書いた文章です。

非モテ男性たちのメンズリブ・グループが見出した、現在の到達点。ぜひぜひ学んで、ここからあれこれ始めたいものです。

 

これで、僕の読書感想ツイートの貯金は尽きました…笑

読書感想、次回の更新は遠い未来の遥か彼方となるでしょう。皆さま、心身を大切にして、どうか元気にお過ごしください笑

 

以下、読書感想です。


0.はじめに

西井開(2019)「痛みとダークサイドの狭間で 「非モテ」から始まる男性運動」(『現代思想2019.2月号 -特集「男性学」の現在-』所収)を読んだ。

非モテ男性論として、シスヘテロ非モテメンズリブの議論として、論点が明晰に整理されており、新たな知見にも満ちた文章だ。以下、4点に分けて感じたことを言葉にしていきたい。

  

 

1.「モテない」ことの手前にある「物語」への注目

非モテ男性は、「モテない→(だから)→苦しい」という単線的な経路に思考がいきがちで、既存の非モテ男性論においても、こうした単線型を前提にしてしまうものが多い。本文では、この単線的な経路モデルに疑義を呈す。

「ぼくらの非モテ研究会」の実践から、「モテない」の手前にある様々な「物語」が浮かび上がってきた。具体的なエピソードは本文を参照してほしい。多様な「痛み」の経験、例えば暴力被害の経験や疎外され辛かった経験が、実は「モテない」の手前に存在していた。人それぞれ、複雑な「物語」があった。

 

それぞれの「痛み」の経験が、それを補わせるように「女性への執着」へと向かう(ここに、男性を取り巻く社会構造、つまり男性ジェンダーの影響がある)。

強すぎる女性への執着心は、失敗や挫折の経験を生むこととなり、更に「オレはダメだ…」という苦しみを感じることへとつながっていく。

こうして「苦しい」と認識する意識は生じるが、同時に、自分が「モテない」から「苦しい」のだ、と単線的に思ってしまう。

非モテ男性の意識の傾向として、苦しみの原因を「非モテ」一本へと収束させてしまうが、しかし実際は、「苦しみを抱えるに至るまで、分厚い物語が存在している」(p.158)…。

 

…以上が本文の主張。とても重要な知見だと思った。男性一人ひとりに、分厚い物語はある。しかし、それを見出すことが難しい。振り返り、言葉にして物語化する機会がない。自分の物語なんて下らないものだ、と自分で自分をバカにしたり、他人に語ることでもない、と感じ、結果的に言語化されない…。

「ぼくらの非モテ研究会」という、西井さんらが実践しているメンズリブ・グループでは、語り合い/聴き合うことによって、それぞれの繊細で固有の、その分厚く複雑な物語に、自然と気づいていく。

 

そのことの、大きな価値!!

 

「ぼくらの非モテ研究会」がどのような実践をしているか、そこでの語り合い/聴き合いの質とはどのようなものかについては、ぜひ本文に当たって確認してみると良い。また、このブログ記事の続きで、その質についてもう少し言及したい。

 

 

2.ダークサイドへの注目とその取り扱い

非モテ男性同士の語り合い/聴き合う場では、「痛み」のみではなく、「ダークサイド」についても取り扱われる。

ダークサイドとは、ストーカーなどの加害的な経験の側面だ。具体的な例としては本文を参照してほしい。

「痛み」の経験と同等、ないしはそれ以上に、「ダークサイド」の経験は語り辛い。しかし、「痛み」を埋め合わせるようにして「ダークサイド」の経験は生ずるのであり、それを言語化して振り返る営為は、恐らく必須であり、非常に重要であるのだろう。

「倫理的に逸脱した行為を行った者を見つけ出して徹底的に叩くという近年の風潮」(p.158)が、「ダークサイド」の語りの表出を、よりなし得なくさせている、と指摘している箇所が本文にはある。全くもって、その通りだろう。クローズドの空間と、そこでの工夫した場づくりが、おそらく必要なのだ。

 

さらに、ここでの論点は、次の一節だ。

「ダークサイドの語りを許容する場は、加害を肯定したり、他者への恨みを吐いたりするだけの露悪的な空間になりうる危険性を孕んでいる」(p.159) 

 本文では、他者に思いを寄せた上での語り合いの工夫の一例も述べられてもいるが、その他にないか。

現代思想2017年5月号 特集‐障害者‐』で、杉田さんと熊谷さんとの対話があり、介助者の当事者研究に関する議論で、「本音と本心を分けて考えること」「自分の気持ちを聞くこと」といった知見が述べられている。これらも参照しながら、「ダークサイド」の取り扱い方は、さらに深掘りしたいところだ。

  

 

3.「うねうね語り」というミクロな技法への注目

「ぼくらの非モテ研究会」の語り合い/聴き合いの、その質について。

「痛み」、もしくは「ダークサイド」の経験を語り、物語として紡いでいくことは、容易ではない。先に見たような、露悪性とその陰性感情が、拡声器のハウリングのように増幅していくリスクの他、被害的に、ないしは加害的に語り過ぎてしまうことや、 そうした過去を振り返ることによる語り手自身のダメージにも、きっと留意が必要だ。「痛み」と「ダークサイド」、その狭間に漂うような姿勢と、言葉の置き方/拾い方の技法が要る。その技法のひとつの例として、この文章では、「うねうね語り」「要領の得ない語り」が挙げられている。

それは、論理的に明確に語ること、既存の言葉をテクニカルに用いて分かりやすく語ることの、対局にある。

あちこち話しが飛ぶ、行きつ戻りつする、うねうね蛇行する、何を言っているか分からなくなる…。それは、「これまで語ったことのないことを語るのだから当然」だ(p.160)。

こうしたミクロな語りの技法へのフォーカスが、重要であると思う。すなわち、この語りとはどういうものであるのか、こうした語りが生起する条件とは何かを、より深掘りしたいところだ。

4へまたぐことを言えば、ぼくたち自身に、こうした語りを喚起させるような条件とは何かを、今後考えたいと思った。

 

「うねうね語り」については、國部さんの『中動態の世界』の議論から、さらに考えたいと思う。

同書の冒頭で、熊谷さんと上岡さんが登場し、障害や依存症の当事者研究の議論からインスピレーションを受けて國部さんは同書を書いた、と明言されている。だから、当事者研究を参考にした実践である「非モテ研」の議論と中動態の議論とが関連していくのは、当たり前と言えば当たり前なんだけど、ここであえて議論を重ねてみたい。

『中動態の世界』によると、能動態/受動態の世界観は、時代を経て後から登場したものだ。

そこでは理性を用いることが良しとされ、意志による決断をし、受動的な条件を切断するかのように、言葉を放つことになる。この世界観では、能動的でないなら受動的である他なく、主体性の有無の二元論へと閉じていく。

現在はあまりにも能動態/受動態の世界観が支配的で、そのパラダイムで考える限り、他に選択肢はないように感じる。

しかし、別の視座がある。理性中心主義的な文法が登場して世界を席巻し、能動態/受動態の文法が世界を支配していく以前には、中動態/能動態という文法と、そんな世界観がおそらくあった。

そこでは、自らを取り巻いてきた環境や、過去からの経緯を、切断して消去することをしないで済む、そんな態度があり得る。

自らのプロセスの内側で言葉を置くか(中動態≒内態)、そのプロセスの外側へと言葉を放つか(能動態≒外態)。

そんな文法と世界観が、かつてはあった。だからそれは、今でも実はあり得るはずだ。

 

…「うねうね語り」は、明らかに中動態≒内態的な姿勢であることが分かる。これは、過去にあって現在は「なかったこと」にされている態度を、探り当てるような営為だ。
理性的に処理した上での、結論めいた断定的な言葉の放ち方ではなく。結論は分からないまま、自らのプロセスに留まり、それを手放さないように、そっと言葉を置いていく…。

このような「うねうね語り」≒「中動態≒内態的な語り」を、べてるやダルクが見出した技法を、ぼくらも使うことはできるのか…。

  

 

4.シスヘテロ非モテメンズリブと社会変革の関係

本文の最後の章は「ぼくらの非モテ研究会の社会変革の可能性」とあり、本文の最終センテンスで、そのことへの言及がある。メンズリブの実践が社会変革へとつながっていく理路とは何かが、大きな論点のひとつだろう。
「痛み」と「ダークサイド」、その狭間の経験が、人によって様々にあり、それらが編み込まれ織り成される複雑で分厚い固有の小さな「物語」は、全てのシスヘテロ男性一人ひとりにも、きっとある。

しかし、それはなかなか見出せない。既存の保守的で大きな「物語」に、ともすれば回収され、なかったことにされてしまう。

この社会で多く表現されている「物語」は、いずれも保守的で大きな「物語」に過ぎない。出回っていてありふれている、あんな大きな「物語」じゃダメだ。繊細で複雑で、それぞれに固有の小さな「物語」を喚起させるような、そんな複数的で統合困難な対象を求めていく力動が要る。

この西井さんの文章から、そして「非モテ研」の実践から学ぼうとするなら、おそらくまず、ミクロな場づくりがいる。それぞれの男性たちが、それぞれの小さいが分厚い固有の「物語」を、繊細に探り当てられるような、そんな場が。

 

そんなミクロな場を創り出していくことで、マクロな社会へも変革が齎される…となればハッピーだが、その道はきっと、遥かに遠い。

非モテ」というキーワードで生起した「ぼくらの非モテ研究会」、その実践はどのようにして、他の男性たちへと伝播するのだろうか。

そもそも「苦しみ」≒受苦を自覚さえしていない男性たちが、上記のような実践に加わることはあり得るのだろうか。

競争の渦中にある、支配層へと上り詰める闘いの途上にある、有名になって権力を得たい、一度手に入れた権力を保守したい、そんなシスヘテロ男性たち(≒ぼくら?)に、ぼくら自身は、いったい何をするのだろうか…。

 

 

5.おわりに→はじめに

…加速しないで考えたい。まずは、とにかく自分から。自分が暴力に巻き込まれそうになるところから、自身の心身と感性を助けるようにして、じっくりじっくり、うねうねと、スローダウンして考え、行動し、感じて、味わって暮らしたい。

まずは、ぼくらの苦しみに留まるところから始めたい。そしてゆっくり、ゆっくりと、ぼくらの苦しみを生み出した社会構造を変えていく契機を探してみたい。

この探索の試みは、もしかしたら、ぼくらの些細に思えるような苦しみを探り当て、迷いながら表現し続けようと挑戦することと、全く同じなんじゃないだろうか。そして気づいたら、そんな身近な「社会」を変える契機が、自身の内側のプロセスの中に転がっていた。そんなふうに、事後的に気づくようなものじゃないか。こんな後向きな想像力を、ぼくらは集団的に持つことができないだろうか。

 

メンズリブ思想・実践の永遠の、普遍的課題。

それはきっと、いつもぼくらから共に始め続けることだ。

 

焦らず、とぼとぼと、さまようように歩きたい。ぼくらから、ミクロからしか始まらない。表現していないことは、まだ沢山ある。

仲間と共にぼちぼち探ること。中動態的に日々を生きて、苦しく楽しく暮らすこと。そこから始めたい。切り口はいつも、そこにある気がする。

おしまい。

読書感想【メンズリブの歴史を学ぼう!】:「日本における男性運動と男性対象のジェンダー政策の可能性:メンズリブを中心にして」より

ごめんねギャバン@札幌、呼びかけ人の、まくねがおです。

 

「読書感想」第二弾は、メンズリブの歴史をざっと確認するために、ある論文を読んでみました。

前回のメンズリブ東京の本もそうですが、いずれも関西でメンズリブをされている西井開さんに紹介してもらい、知った文章です。今回も、とっても面白かった。西井さん、どうもありがとうございます。

 

以下、読書感想です。

 

 

 

 

1.はじめに

大束貢生(2019)「日本における男性運動と男性対象のジェンダー政策の可能性:メンズリブを中心にして」

archives.bukkyo-u.ac.jp

西井さんに、「過去のメンズリブの経緯を調べてみたいんだけんども…」と相談したら、西井さんが紹介してくれた論文。

…とても良かった。図式的に分かりやすく整理されていて、頭がスッキリ。

 

 

2.メンズリブの歴史

日本のメンズリブ(男性運動)は、そのルーツから、男性の苦悩からの解放を目指す方向性と、男性の加害者性からの解放を目指す方向性、その二方向があった。

そして生まれた1990年代のメンズリブ(男性運動)は、この二方向を統合したようなものだった。


しかし2000年代に入って、メンズリブと名付けられる活動は縮小し、無くなっていく。

ただし、統合されていた元々の二方向が、発展的な形で専門分化して再び二つに分かれ、男性運動の代表的な二つとしていま活動中だ。

それが「ファザリングジャパン」と「ホワイトリボン・キャンペーン」。

発展的な形、というのは、ソーシャルビジネス的な動きを取り入れていたり、国際的な運動の流れの中で連携していったり、と、新たな手法や潮流が取り入れられていったことを意味している。

 

…面白かった。この二つの運動の名前は聴いていたが、男性運動の系譜の中で改めて把握することができ、興味深かった。

 

さらに上記の論文では、ジェンダー平等政策における男性運動の影響力についても分析している。

メンズリブと冠する運動が縮小するのとパラレルに、ジェンダー平等の実現を目指す施策においても、女性/男性問題の解決をジェンダー平等の実現に向けて位置づける要素が、次第に後退していった。
上記論文では、国や自治体のジェンダー平等施策において、男性運動が政策決定過程にどんな影響を及ぼしてきたのか、その研究が十分されてこなかったことを指摘する。

そして、さらなる政策研究の必要性を訴える。

 

…確かに大事だ。メンズリブ・男性運動を政策に結び付ける視点は、僕にほとんどなかった。

 

 

3.気になったこと

…さて、僕はメンズリブについて研究上でコミットする気はない。今後地元でささやかにメンズリブの実践をしはじめたい立場として、この論文を読んで思ったことをいくつか書きながら考えてみたい。

今後も文献をぼちぼち読んでいこうと思うけど、上記論文を読んでの、とりあえずのメモ代わりとして。

 

まず、90年代メンズリブ衰退の理由は、やはり気になる。

メンズリブが世間にある程度の影響力を持ったから、という理由がよく挙げられるけど、正直あんまりピンとこない。

「男の料理教室」とか、「男の…」というセミナー的な活動が一般化したから、というが、そんなもんで済ませて良かったのか、と。


元々のルーツの二方向、苦悩からの解放にせよ、加害者性からの解放にせよ、そんなレベルの話しでは到底なかったろう。一定の役割を終えた、と言ってよいのだろうか。

二方向どちらを見ても、そもそもこんな程度のことをメンズリブ・男性運動は目指していたのか、と言いたくなってしまう。

 

また、90年代メンズリブ衰退のもうひとつの理由として挙げられていた、男性問題の多様化・細分化や、男性同士の分断について。ここは非常に重要な論点であると感じていて。

この論点が、その後のファザリングジャパンやホワイトリボンキャンペーンといった活動に、どこまで接続されたのかが気になる。


ロスジェネ世代の僕は、00年代は若かったがすでに若くはないぼくら男性たち(ヘビーなケースでは、いわゆる7040・8050問題と呼ばれる…)の、その苦悩と、ときに帯びる加害者性に対して、強烈な問題意識がある。

インセルやヘイト男性たちの問題にも近しい部分。男性運動は、こうした現象に対してどう向き合っているのか。

特にファザリングジャパンは、苦悩からの解放、ケアする男性性の流れを汲む運動だとして挙げられていたが、なぜそれが「父」に限定されてしまったのか。

ソーシャルビジネスは、弱さを抱える男性たちに届くのか。

男性運動に、大きな隙間を感じる。これを埋めるような運動が求められているように思う。

 

…こんなふうな僕の評価も、きっと拙速で。

男性相談の流れを汲む活動などが、弱さを抱え、苦悩し孤立してきた男性たちをこれまで受け止めていたのではないか。

DV加害者更生臨床の流れも気になる。

90年代メンズリブやその後の男性運動の評価も含め、様々な本を読んで今後、再吟味するつもりで確かめたい。

 

 

4.メンズリブ思想の新しい潮流?

…そして、僕はメンズリブを実践としてやりたい立場だけど、メンズリブの思想的な話も、今回上記論文を読んで思い出したこととして、メモ的に呟いておきたい。

 

00年代以降、メンズリブ思想として、新たな潮流が生まれたのではないか。森岡正博さん→杉田俊介さんのラインのことだ。


それは男性たちによる、ウーマンリブの思想のラディカルな継承を狙うラインだ。内在的に苦悩と加害者性を深く問うていく。

森岡さんの切り口は、自分自身の非モテ男性性や性欲の問題だった。

杉田俊介さんはそれに加え、非正規雇用等で苦しむ孤独な男性性に焦点を当てたメンズリブ思想を、ずっと練り上げてきた。

 

具体的に言うと、森岡正博さんの『生命学に何ができるか』『草食系男子の恋愛学』『感じない男』。

そうした森岡さんの議論の批判的継承を目指した、杉田俊介さんの『無能力批評』『非モテの品格』。さらに雑誌『現代思想』で掲載された熊谷晋一朗さんとの対談、そして同じく『現代思想』の男性学特集号に寄稿されている「ラディカル・メンズリブのために」も挙げたい。

 

この、森岡さん→杉田さんのラインのメンズリブ思想は、ウーマンリブの議論にプラス、障害当事者運動の議論も加味しているところに特徴があった。

それは特に杉田俊介さんの議論で、メンズリブの方法論として結実してる。「マジョリティとしての、シスヘテロ男性たちの当事者研究」という方法論として。

 

 

5.おわりに

以上の流れを踏まえながら、メンズリブの草の根の活動として、僕も自分の身近なところで実践したいなあ。

近年はオープンダイアローグとか、哲学対話なども実践として盛んになってきて、男性たちが集う場も多様になっているように思う。

「ぼくらの非モテ研究会」は、ここまでのメンズリブの系譜において、一番面白そうな場だ。呼びかけ人のひとりである西井開さんは、上記論文をすぐに僕に紹介してくれるぐらい、メンズリブの歴史をよく踏まえて活動されている(たくさん学ばせてもらいたい)。

 

…僕はすぐ頭でっかちになっちゃって、こうした妄想を繰り広げてしまう(躁鬱人…?)。

さいわい、メンズリブのことをあれこれ話せる人がツイッター上に何人かいるから、わいわいやりとりしながら、ゆるゆる実践したいもんだ。

メンズリブの歴史も今後、コツコツ学んでいきたいな。西井さんから教えてもらった本、一通り注文したから、アマゾンから本が届いたら、ぼちぼち読んで感想をここで書きながら考えて、アウトプットしていきたいなあ。

おしまい。

読書感想【メンズリブ東京に学ぼう!】:『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』より

ごめんねギャバン@札幌、呼びかけ人の、まくねがおです。

 

ごめんねギャバン@札幌は、メンズリブの集まりです。そもそも、メンズリブってなんじゃらほい?と思われる方もいると思います。

…僕も、よく知りません!笑 なので、一緒に学びましょう。

 

このブログで、メンズリブに関する文章を読んだ感想を、ぼちぼちアップしていこうと思います。僕が過去に呟いたツイートをコピペして、ちょっとまとめ直すだけのカンタン仕様です笑

文章を読みながらメンズリブのことについて学んでいく記事については、このブログのカテゴリー「読書感想」で続けていけたらと思いますので、ご興味ある方は、カテゴリーの「読書感想」をクリックして読んでいただけたらなと思います。

…飽き性のADHDなので、全然更新されないかもしれません笑が、気長にお待ちください。

 

以下、読書感想です。

 

  

1. はじめに

豊田正義(1997)『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』(飛鳥新社)がアマゾンから届いていたので、読み始めてみる。

著書の豊田さんはメンズリブ東京の代表だ。

 

本の最初は、20代の男性の語りから始まる。

明確な暴力はないが、明らかに依存症的な父が支配する家庭に育った男性のエピソード。

その男性は、父への反発から早くに家を出て、肉体労働をするも身体を壊す。その後、メンズリブ東京につながる。似たような境遇の男性たちと、はじめて共感的な会話ができる…。

…なるほど、良い場だ。シンプルにそう思う。

 

メンズリブ東京。ミニコミ誌を作ったり、毎週テーマ別の部会毎にワークショップを開いたりして活動していた。部会は以下の5つ。

「仕事」

「家族」

「パートナーシップ」

セクシャリティ

「オタク」

 

「活動の趣旨は、今のところ制度より意識の変革を目指している」とある(p.9)。約2年前に旗揚げした、とあるので、1995年開始ということだろう。

 

ワークショップの内容は、ごく単純なもの。男同士で車座になり、自分のことを語っていくだけ。テーマはあるが、基本的に「いいっぱなし、聞きっぱなし」のフリートーク

できるだけ本音を語ることだけは、一番の約束事にしている。

 

「この二年間、僕たちは、「男」としての生き難さを互いに出し合い、共通の問題構造を掘り起こし、それぞれの解放と自立のために支え合ってきた」(p.10) 

  

メンズリブ東京は20代、30代がメンバーの中心で、この本は著書の豊田さんを含めた、メンズリブ東京のメンバーたちの語り合いから見えてきた男性問題の報告書である、とのこと。

当時、メンズリブの集まりは岡山、大阪、奈良にもあり、メンズリブ・男性問題の捉え方や、活動方針や問題意識も各地で様々だった。

が、本書はあくまでメンズリブ東京から見えた男性問題を扱うようだ。

  

 

2.「父親≒男らしさ」から自分らしさへ

…「第1章 父親を消せ」読了。面白かったー…。

高度経済成長期の過酷な労働のために、支配的になったり、暴力的になったり、劣等感に塗れてしまったり…。

そんな父の元で育ち、植え付けられた「男らしさ」に反発しつつも、ついつい似たような「男らしさ」に飲み込まれてしまう息子たち。

著者の豊田さんも、過酷な労働現場の跡取りとして実家から期待され、そのプレッシャーもあってついには鬱病にまでなってしまった、そんな過去がある方だった。

他の方々のエピソードも非常に生々しく、息を飲んでしまうようなものばかり。この抑圧からの解放は容易ではない…と読みながら心底思った。

 

「男らしさから自分らしさへ」というテーゼについて、これまで僕は表面的に受け取って批判的に見てきたけど、この章のエピソードから湧き上がるように導き出されてくるのを読むと、切れば血が滴るような切実さを感じた。

このテーゼについて、もっと立ち止まって、じっくり考える必要があるなあ、と。


豊田さんは心理学・ACの本を読み、「まずは親から抑圧的な振る舞いを受けてきたことを自覚し、そこから始める」というプロセスが大事であることを知る(田房永子さんの毒親論を思い出す)。

ただ、自覚しても、そこからが険しい。育ちで身についた価値観は、なかなか引き剥がせない。

その困難な試みに挑むには、励まし合える仲間が必要であり…。

そして、「抑圧者としての父≒男らしさを消して、自分らしさを探そう」という共通の合言葉が必要だった。そうして生まれたテーゼが「男らしさから自分らしさへ」だったんだなあ。

 

 

3.母親・会社・女性との対峙

…ゆっくり読み進めている。

 

「第2章 母親という抑圧者」は、僕も母のことを突き放して捉えられない、という点で、掲載されたエピソードを共感的に読んだ。

 

「第3章 男が会社を棄てるとき」は、この本を読んでいる僕の現在は格差社会が進行しまくってて止まらない状況で、本で書かれている時代は格差社会以前であり、そんな時代の断絶は感じたけれど、しかし「このワーホリ社会は、完全に現在と地続きだ…」と戦慄しつつ読んだ。

 

「男自身の意識の中にも、自らの「弱さ」や「脆さ」を認めようとしない傾向が根強くあるからやっかいだ。(略)男というのは、一般に、「強さ」や「たくましさ」に対するこだわりを棄てられず、「弱さ」や「脆さ」を受け入れられない人種である。僕は、「男たちよ、弱くある勇気を持て!」といいたい」(p.175-176)

 

…「第4章 女と向き合うとき」読了。この章は特に良い。

シャイマンの事例は、元非モテの自分の過去ともやや重なり、懐かしかった。

そして、家事を通じて着実さを取り戻す過程が描写されたエピソードがあり、それも絶品。複雑な行きつ戻りつを経て解放に至る、個別的で具体的な「新たな男」の物語…。

  

 

4.メンズリブが生まれるとき

…豊田正義(1997)『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』読了。

最終章の「第5章 今、なぜメンズリブか」はとても面白く、また衝撃的で、モヤモヤと思うところが多かった。


第5章、まずは著書の豊田さんが、イエローキャブ問題に取り組むプロセスからメンズリブ東京を立ち上げていく経緯が具体的に記載されている。

イエローキャブ問題は、家父長制社会の中の競争で無意識下にストレスを抱え、歪んだ形で女性たちへ嫉妬してしまい、その苛立ちをぶつける、という男たちの弱さが問題の根幹にあって。

豊田さんは、自身がニューヨークに渡って解放されたのに、海外にいる日本人女性が酷く理不尽な形で蔑視されている現状に気づき、憤りを感じ、イエローキャブ問題を「見える化」する運動へと身を投じていく。フェミニズムにもそこで出会う。そして、男の問題に自分事として取り組み始める。

 

…豊田さんは、メンズリブを始めようとする男性たちにとって、尊敬すべき先輩だなあ、とつくづく思った。

「男に生まれてすみません」という気分を抱いたり、「僕も加害者の一人なんだ」と思って失語したり、メンズリブに触れた男の誰もが一度は通る困難さを、豊田さんもまさしく体感していて。

 

メンズリブ東京を立ち上げても、豊田さんは最初、どうしても自分のことを語れずにいたんだそうだ。

マスコミの取材を受けても、メンズリブ東京は「(自分のためじゃなく)他人のために始めたんだ」とどうしても取材では答えてしまい、そのことがとっても辛かった、とも本書には書かれていた。

 

そして、メンズリブ東京の仲間たちともやっと信頼関係ができてきて、豊田さんが自身の鬱病の経験を初めて仲間の男性たちに語った時、自然と涙があふれ、声が震えたのだという。稚拙な表現で良いから語ろうと思い、切実な経験を初めて言葉として外に出すことができた、そんな瞬間の描写があって。このシーンは、とっても感動的だった。

豊田さんが自身の一番辛かった経験を語った後、それほど劇的な変化があったわけではなかったという。

ただ、モヤモヤした抑圧感は薄らぎ、「ありのまま」を自分で引き受けようという覚悟がいつのまにかできていた、と書かれていた。周囲の男たちが、豊田さんの切実な経験をただ聴いた、そのことによって、豊田さんの中には緩やかな変化が生じたようだ。

 

…以上のような一連のプロセスは、まさしくメンズリブ誕生の貴重な記録だよなあ、と思った。これを1990年代半ばに行なっていたのだ。すごいなあ。

 

また、豊田さんは苦労しながら仲間を見つけていったんだなあ、と終章を読んで思った。

豊田さんは、メンズリブ東京の立ち上げメンバーとして、会の発起人の三人を集めた。

会を始める時も、本当に人が集まるかは不安だったし、始まってからも、すぐにうまくいったわけではなかった。

 

…そりゃ、そうだよな。こんなコンセプトの集まり、誰もやったことがなかったのだし。

自分のことを語るのが苦手な男性たちが、初めてのことに挑戦するのだから、簡単にいかないのは当然だ。

こんな難しさも、本書ではしっかりと描写されていた。

 

『オトコが「男らしさ」を棄てるとき』、名著だ。読みながら、何度も何度も、僕の実存にも触れて、グッと来る瞬間があった。

豊田さんの個人史と、それぞれの男たちの語りが絡み合い、素晴らしい言葉が紡がれていた…。

  

 

5.甘えと癒し

…んだけど、この本はまだまだ、これで終わらないのだった。

「いやあ、ホントに良い本だなあ」と思ってしみじみ終盤まで読んでいったら、最後にまた、ガツンと頭を殴られたような展開になるのだ。

 

怒涛の説教モード。

 

「『癒し』と『甘え』を混同するな」

「自分はこのままでいいんだ、と考えたとしたら、それは『甘え』でしかない」

「コミュニケーション不全を何とか改善しようと努力している限りにおいて、メンズリブの仲間と場所は『癒し』になる」…。

「問題の解決に向かって」「発展性」「発想転換」…。

 

…最後は豊田さんが、「自分自身の『甘えたい』という欲求を戒めるため」に、こうした言葉も最後に置いた、と書かれていた…。

 

…ここが、僕の大きなモヤモヤポイントで。

僕の気持ちとして、半分は分かる。メンズリブをやろうとすると、「このままで良いのか」「こんなもので良いのか」という気持ちが、どうしても湧いてしまう。

しかしもう半分は、危機感を覚える。こうした、自分も他人も説教したくなるような心性を、僕らは僕らの手で解きほぐせないだろうか…

 

男たちがメンズリブの場に集うとき、それは「甘え」であっても良いんだ、とメンズリブは捉えるべきなのだろうか。

 

それとも、「癒し」と呼ばれるものを、もう少し解像度を上げて言葉にし。その概念から、僕らが自分も他人も説教したくなるような要素を、脱学習し続けるような、そんな取り組みが必要なのだろうか。

 

わからない。

 

そもそも、ブログで、ではなく、メンズリブの場で仲間たちと共に、身をもって模索すべき問いであるようにも感じた。

 

メンズリブにとって「甘え」とは何か。

メンズリブにとって「癒し」とは何か。

 

…そんな問いをまさに先行して生きた、という意味でも、メンズリブ東京は、豊田さんは、偉大な先達だ。そう思った。

本を読んで、過去のメンズリブを振り返り、その歴史を確認してみる作業は、とても面白い。引き続きまた、ゆるゆると取り組んでみたいなあ。

おしまい。

告知【自分の苦労を語ろう】:第5回ごめんねギャバン@札幌

※2020.7.24追記

現在、6名の方に参加希望の連絡をいただきました。  人数的に、これで締め切りとさせていただこうかなあ、と思っています。「ああ、参加したかったのに…」と思われた方は、ごめんなさい!  参加表明して下さった方々、どうもありがとうございます〜!

 

 

コロナもあり、忙しさもあって、しばらくお休みしていた、ごめんねギャバン@札幌。

さあ、そろそろぼちぼち、歩き始めましょう。とりあえず次回は…

 

【自分の苦労を語ろう】

 

…です!

 

 

僕はまだまだ、コロナにビクビクしているので、次回もズーム開催とさせてください…。

やることは、簡単です。集まった方、それぞれが、今自分が苦労していることを語ります。

ひとりがまず、苦労を最後まで語ります。

聴き終わったら、その語りを聴いた他の方々は、その苦労を語った方本人に対して、聴いて感じたことを言葉にします。また、もう少し聴きたいと感じたことがあれば、質問をします。

そうして、参加した方ひとりひとりが順々に、自分の苦労を語っていきます。

ひとつひとつの苦労の解決は目指しません。自分の苦労について、ただ語り、感じたことを言葉にしてみましょう。そうしてひとりひとり、自分の苦労をうねうねと語ってみましょう…。

 

ルールもざっくりシンプルに、以下のような形で語り合いを行いたいと思います。

・苦労を語るときは、自分に集中してみましょう。

・感じたことを、まっすぐに言葉にしてみましょう。

・ただし、他人の人格を否定する言葉は語りません。

・互いに関心をもちあいましょう。

・相互の声に耳を傾け合いましょう。

・他者の存在を認め合いましょう。

・語り合いで得られた個人情報は、終了後に非参加者へ漏らしません。

 

呼びかけ人の僕(まくねがお)の見通しとしては、そこで出た苦労の言葉を、どれかひとつ選んで、その次は哲学対話をできたらな、って思ってます。

第3回のごめんねギャバンでは、哲学対話に挑戦してみたのですが、テーマ選びと哲学対話を同時にやったので、ちょっとつめつめになっちゃって、忙しい感じがしました。

なので、まずはゆっくり自分事を語り合い、聴き合って、それから哲学対話ができたらなって思います。

 

メンズリブの集まりとしてやっていますが、こうして自分の事を語り、考えを深める時間や場が、僕たちには足りていないのかな、と思っています。

僕たち男性が中心になって、自分の苦労を語り、哲学対話をしてみることが、そのままメンズリブの場にならないだろうか、と思っています。

この後も、苦労を語る→哲学対話をする、という流れを何回かやってみて、集まってくれた方々と語り合い聴き合う経験を重ね、その上で、集まってくれた仲間の皆さんと、その次の展開も考えられたらな、なんて、呼びかけ人の僕としては思っております。

 

ズームでの開催になりますが、顔出し参加、声のみ参加、チャットのみ参加と、どんな形での参加もOKにしようかな、と思っています。

正直、そんなに参加希望者の方の数は多くならないだろうな、と予想しているのですが…。

もしも参加希望者が多いようなら、地元札幌、地元北海道の方の参加を優先したいと思っています。

顔と顔の見えるところでの、語り合い聴き合う仲間を作りたい、という呼びかけ人(まくねがお)の希望によるものです。ご了承ください。

 

 

安全で安心な環境を用意して、暴力を防止するための配慮と、互いへの敬意と尊重を大切にする、そんな語り合い聴き合う場を、皆さんと一緒に作りたいと思っています。

 

 

 

【日時】

2020年8月7日(金)午後7時より開始

 

【参加条件】

特にありません。

参加費も無料です。

メンズリブの場ですが、男性に限らず、どんな性自認の方でも参加できます。

準備も何も要りません。どなたも、どうか安心してご参加下さい。

 

参加希望の方は、以下のアドレスかDMにご連絡下さい。

ご連絡いただけた方に、ズームミーティングのIDとパスワードをお知らせしたいと思います。

ではでは、よろしくお願いします〜。

 

メール:mensliberationsapporo@gmail.com

ツイッターアカウント:@gomennegavansap

 

報告【男たちの「失敗学」入門!】:第4回ごめんねギャバン@札幌

2020年4月17日、第4回ごめんねギャバン@札幌【男たちの「失敗学」入門!】を行い、楽しく終えています。

 

急遽Zoom開催となった今回、以下の本をみんなで輪読・音読し、あれこれ意見交換しました。

 

『良かれと思ってやったのに 男の失敗学入門』

パート10「男同士になるとキャラが変わる男たち」

 

そもそもキャラとは何なのか…。

男同士のノリはそもそもどこから来たのか…。

 

幼少期からの自身の経験なども出し合いながら、みんなで問いに対する考えを深めていきました。

個人的な感想としては、歳を重ねるごとに集団として形作られていく「男同士のノリ」は、非常に強固なものだな、と思いました。

 

「男同士のノリ」の打破は、容易なことではありません。

キャラを作ってセルフブランディングする力や、周囲のノリを踏まえつつ対応する力が、今後益々必要になるのかもしれません。

そうすると、「男同士のノリ」との向き合い方も、どんどん高度なものにならざるを得ない…。

 

本で書かれていた結論は、極めて妥当なものだな、とも思いました。

客観的に、男同士の中にいるときの自分の姿を見ること。

その姿を見て、自身がなぜそのように振る舞ったのか、理由を探ること。

…無自覚に違ったキャラになってしまう自分に気づくには、この方法しかなさそうだな、と思いました。

 

Zoomでの試行実施でもあり、まだまだ語り足りないな、という事後の感覚がありました。

この本に対する違和をもっともっと出し合ったり、男同士のノリと恋愛との関連をもっと深く分析したり、さらにやりたかったなあと思いましたが、きっと物足りないぐらいが良いのでしょう。

 

次回以降が楽しみです! 次回の日時や内容等は未定ですが、決まり次第、ツイッターやブログで告知したいと思います。

参加してくれた皆さま、本当にありがとうございました〜!